結局のところ、私を私のままで必要としてくれる人に対してしか、何かをしてあげることなんて出来ない気がする。どんなに望んでも、誰かの代わり、にはなり得ないし。 「してあげる」ということ自体が傲慢なのかもしれないけれど。 #
by sora_051
| 2005-12-23 08:42
| 日々徒然
大学時代の友人、Tに会った。仕事のこと、結婚のこと、旅行のこと、共通の友人の消息、学生時代の思い出話。そんなとりとめもない話をするなか、酔いの回ったTがこんなことを言い出した。 「最後の夏に海に行ったときさー、Mが晩御飯の準備してて、その手伝いを私がしててさ、っていっても私はMに言われたことをやっていただけなんだけど、そのときにソラがさ、実は布団を敷いていたことがあるじゃん。」 そういえばそんなことをしたような気が・・・あー、確かそのうち誰かしら酔いつぶれて寝始めるだろうから敷いとこうと思ったんだっけなぁ。 「そのとき私ほんっと、ソラのこと見直したんだよねぇ。そういうのって目立たない、ものすごく地味でなかなか気がつかない部分じゃん?1人それに気づいて静かにやってるのってすごいと思ったんだよ。本当は、女らしい細やかな気遣いが出来るやつなんだなーと思って。」 そうお? 「あのあとさー、Kちゃんかなんかが『おい、お前も晩飯の準備手伝えよ!』みたいなことをソラに言ったんだよねぇ。」 そうだっけ? 「そうだよ、私、コイツ何もわかってねーなー、と思ってむかむかしちゃって。それからだよね、ソラのそういう部分に気づき出したの。飲んだりしてても実はソラちゃん、あんまり飲めないのにさ、先頭切って楽しそうにしてるのとか見て、ああ盛り上げてるんだ、とかさ。普段しゃべってるときもそうなんだなーって。行動や言動が奔放なところに目が行くし、そういうコなんだと思ってたけど違うじゃん、何だ、皆気づいてないけど実はソラ、すごい気を使ってるんじゃん、って思い始めたの。」 照れた私は 「っていうかそれ、4年のときじゃん!気づくの遅いから!」 と言い、Tはえへへと笑った。 私自身ですら言われないと忘れていたようなことを彼女が覚えていて、そういう風に思ってくれていたこと。気づくのが遅いと言った私自身が、今更ながらにそのことに気づいた。 そういう人の存在を素直に嬉しく思った。 #
by sora_051
| 2005-11-17 20:23
| 日々徒然
「愛してる、という言葉を使わなくても、本当に気持ちがあれば相手にも伝わるはずだ」 と、高校生のころの彼は言った。高校生のころの私は、それはそうかもしれないけれど、それじゃ相手の不安は解消されないんじゃないかしら?やっぱり相手としては言葉が欲しいんじゃないかしら?君の理想はわかるけど、それは勝手な理想ともいえるんじゃないかしら? そう思った。 高校生のころ、いつも一緒に遊んでいた8人の仲間。その中の男友達と女友達がこの秋、結婚した。外は生憎の曇り空だったけれど、明治神宮で行われた神前結婚はしめやかで、いい式だった。花嫁の白無垢姿が愛らしかった。 全てが和やかに滞りなく行われ、披露宴の最後、新郎がスピーチに立った。 「私は、まだ彼女に言っていない言葉があります。」 他愛ないことで笑い過ごしていたあの頃から10年あまり。それは無邪気で無責任に過ごしていた時代から、責任とともに自分を律することや様々な妥協をも強いられた時代でもあったはずだ。その中で、変わらないこともあるし、変えたこと、変わらざるを得なかったこともある。 「実は、愛しているという言葉を言っていないので、今ここで、言いたいと思います。」 ああ、彼は、愛に対してはあの頃のまま、変わらずにいたんだな、そう思った。御苑を望む放課後の教室で彼らと交わした様々な言葉や、交換した手紙の文字を思い出しつつ、彼の隣に立つ彼女を見る。彼女もまた、あの頃とあまり変わらない、無邪気な笑顔を見せていた。 #
by sora_051
| 2005-10-26 20:33
| 誰かの肖像
目が覚めたら豆電球がついていた。 今の私に豆電球をつけて寝る習慣はない。それは夫の習慣。 子供の頃を思い出す。 幼い頃から本を読むのが好きだった私は、子供の頃、「いい加減寝なさい」と急き立てられて電気を消された後、よく豆電球の下で本を読んだ。父や母が様子を伺いに来る気配がすると、布団をかぶって眠ったふりをした。そのときによって、父や母は私を叱ったり、気づかないふりをしてくれた。 そういえば、父母に豆電球を点けて寝る習慣はない。 「怖いから、豆電球は点けていて。」 本当は、本を読むため口実。そのための習慣。だから、大人になった今は必要のない習慣。 祖母の隣で眠るとき、豆電球がついていた。あの田舎家の周りには、街灯というものが一切なく、夜は完全な暗闇で、都会育ちの私を怖がらせるには十分だった。 頼りない豆電球の光と、隣で眠る祖母の温もりが、私の安全を保証してくれた。 頼りない豆電球の光と、隣で眠る夫の温もりが、私の安全を保証してくれる。 #
by sora_051
| 2005-08-20 11:00
| 日々徒然
2年前の8月10日、東京湾花火大会を屋形舟から観た。屋形舟に乗ったのは2回目だった。1回目は、下町にあるシステム会社で働き始めたときの新人歓迎会。 父の最初の入院後の夏。それまで家族の誰1人、大きな病気や怪我をすることなく(覚えている限りでは弟が小学生のときに盲腸で入院したくらい)、何となくそういうものとは無縁な気がしていて、だから、父の、腎臓や血液の病気が見つかったことによる動揺は大きかった気がする。食事制限や大量の薬によって、大きく自由が奪われた気がしていた。 だから、少しでも気が晴れることをしよう、ともに過ごす時間を大切にしようと思い、思いつきで提案したのが屋形舟で花火を観ること。 「しばらくさあ、家族で旅行とかも行ってないし、花火も観てないじゃない?私、調べて予約するから、行かない?」 母は行きたいと言い、父も何となく嬉しそうだった。忙しい仕事に就いた弟は無理かな、と思っていたのだけれど、俺も行く、と言う。職場でこっそり仕事の合間に調べ、エレベーターホールから予約の電話をした。 More #
by sora_051
| 2005-08-10 04:21
| いつかの景色
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